俳句とみる夢

笠原小百合の俳句な日々。

猫の句を詠むこと

先日のブログにて、わたしは動物の句を詠みがちであるということをちらっと書きました。

 

sayuri0311.hatenablog.com

 

動物はとても好きです。

小動物も、虫も、鳥も、魚も、みんな愛しく思います。

馬が好きなので馬の句も多いのですが、猫の句も負けずに多く詠んでいます。

 

小学生の頃から猫を飼い続けてきたので、猫のいない生活には物足りなさを感じます。

実家では同時期にではないですが、レックス、チョコ、クッキー、ちいや、スピカという名の猫たちとともに過ごしました。

現在はジャスタウェイ、通称「じゃす」と一緒に暮らしています。

元野良猫、知人からもらった猫、保護猫など境遇は様々ですが、どの子への想いも同じです。

 

猫の句は俗になりがちなので句として詠む際には気をつけるようにしています。

が、俗でもなんでも詠みたいものは詠みたいし、自然と句が出来上がってしまうのですから仕方ありません。

 

昨日、じゃすを動物病院へ連れて行ったところ、乳がんだと言われました。

猫の乳がんは1歳半までに避妊手術をしていれば発症率が大幅に下がるらしいのですが、じゃすは野良猫だったので正確な年齢がわからず、我が家に迎え入れたときにはすでに2歳近くだったのではないかと思います。

すぐに避妊手術はしたのですが、どうやら遅かったようです。

病院の先生に「運が悪かったね……」と言われて、泣きそうになってしまいました。

もっとはやくうちの子になっていれば。

そんな「たられば」すら脳裏をよぎります。

 

もう、猫の句は俗になりがちだから、などと言っている場合ではありません。

これからはたくさん、猫の句、じゃすの句を詠みたいと思います。

一緒に居られる残りの時間を句にすることが、わたしなりのじゃすへの想いの形なのかもしれません。

 

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ホットカーペットで寛ぐじゃす

 

わたしは俳句は日常と地続きの芸術だと思っているので、たまにこういう記事も書くと思います。

俳句とはあまり関係のないお話になってしまいましたが、どうかお許しください。

 

笠原小百合 記