俳句とみる夢

笠原小百合の俳句な日々。

BUMP OF CHICKENのアカシアに救われている話

土曜は猫氏ことじゃすの葬儀を執り行いました。
簡単なお別れの儀式と火葬。
わたしたちがじゃすにしてあげられること。
それは、わたしたちの心を癒やすために必要なことでもあります。

というか、人間なんてエゴの生き物だと思うのです。
なんでも結局は、最終的には自分のため。
だからこそ、わたしは人間が愛おしい。
自分の中のエゴを確認して、ああわたしも人間だ、と少し安堵するのです。
そういう、愛しくも悲しい生き物なのです。

じゃすと会えなくなってから、BUMP OF CHICKENの楽曲をよく聴いています。
バンプは昔から大好きなバンドで元々聴いていました。
弱っているとき、つらいとき、頑張りたいとき、やさしくなりたいとき。
そういうときに聴く音楽、聴きたいと欲する音楽。
それはわたしにとって、BUMP OF CHICKENとCIVILIANなのかもしれません。

今は特に「アカシア」という曲を聴いています。
この曲はポケモンをモチーフに作られた楽曲なのですが、つい猫氏に当てはめて歌詞を聴いてしまっています。

君の一歩は 僕より遠い 間違いなく君の凄いところ
足跡は 僕の方が多い 間違いなく僕の凄いところ

ポケモン視点の歌詞だと解釈しています。
ポケモンが、パートナーである人間を思う歌。
そのポケモンをじゃすに置き換えて考えるのは、まあなんともエゴ中のエゴという感じなのですが。
なんともわたしにとって都合の良い解釈。
でも、そう思い込むことで救われることもあるというのも事実。
じゃすもこう思っていたかな、思ってくれていたらいいな、と。
そう思って曲を聴くと、涙が止まらなくなるのです。

どんな最後が待っていようと もう離せない手を繋いだよ
隣で(隣で) 君の側で 魂がここがいいと叫ぶ
そして理由が光る時 僕らを理由が抱きしめる時
誰より(近くで) 特等席で 僕の見た君を君に伝えたい

君がいることを 君に伝えたい

じゃすからわたしへ。
わたしからじゃすへ。
じゃすは間違いなくわたしのパートナーでした。
大切な家族でした。
それは今もこれからも決して変わらないです。

 

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